眞喜屋実行さん
(販促専門家)


「易経(中国古典)を知って、
得することはあっても損はしないです!」

「易経ってすごい、美しい」と感じました。意図して作られたのか分かりませんが、色々なことがうまく結びついている。今、自分の立ち位置を改めて考えることができ、その対処も考えられるのでやるべきことが見つかった。大失敗をしづらくなる気がします。

長く残っているものは、理由があると思うんです。
クラシックの名曲でも、映画の名作でも、有名な童話でも。

それは、作品としてのすばらしさだけでなく「本質」をついているからではないかと思うんです。
ビジネス書でも、ずっと売れ続けてる本とか、やっぱりすごいですから。
そんなに長く残ってるってことは、本質をついている以外に考えられんのです。

「易経」は、「時の書」と言われているそうです。我々が日々の生活やビジネスの場面で直面する時や場面を描き、その時々の対処法や判断の考え方を指南してくれる書物です。

もちろん、3000年前にはパソコンもスマホもないですけど人間関係や社会とのかかわりの中での「今の場面」は大いに自分に当てはまるわけです。

下積み時代の今、何に気を付ければいいのか?
苦労している今、どんな判断基準を持てばいいのか?
上り調子の今、どこに落とし穴があるのか?
などなど、3000年の歴史から自分にインストールして活かして、損があるはずないです。

易経を知って、得することはあっても損はしないですよ、絶対!

株式会社はぴっく
(小道具動画制作&小道具販促)
http://haps.chu.jp/

 

青木絵美さん
(貸しギャラリー
自由が丘サクラボロー 代表)


「生きづらさを軽減できる実践的な古典です」

易経は中国の古典であり、帝王学なんですね。
そして世の中に起きることの法則について書かれています。

とてもわかりやすくて、しかも興味深いもので・・・理論が頭に入ってこないとなかなか入り込めないタイプの私でも驚くほどすっと腑に落ちる。

中国古典となると興味を持たれる方は大人の方かとは思いますが、
今日の講座に参加した印象では人生の早い時期に知っておくべき(というのか知っておいた方が為になる)学問なので若い方にもお奨めしたいです、是非。

今までうっすらそうかなと思っていたこと、または何の根拠もないけれど頭をよぎること。世の中に起きる全てのことには法則があるそうです。

不思議なほど素直に吸収できました。

しかしはるか大昔にこんな書があったなんて、人間ってすごいものだと驚いてしまいますね。
今の世にも同じように通用するのですから。


易経って何?とか、
とっつきにくいんじゃないかな?とか
あるかもしれませんが、すごくおもしろいんですよ。

私流に簡単に言うと、生きづらさを軽減できる実践的な古典という感じです。

易経の中には人生のあらゆる場面が登場するそうなので、これからの私の身の上に起こることに対してどういう姿勢をとることが正しいのか、きっと生きる指針となってくれることと思います。


素人目線で書きますと、易経という古典は陰陽の上に成り立った古典で面白いほどにそのストラクチャーがきちんと組まれておりまして、そしてその中に64の話が収まっています。

それぞれは世の神羅万象、そしてその結末が描かれています。

そして易経が書かれてからどれだけの時が経とうが、今の時代に起きること、今の人間がなすこともきちんと易経の話に当てはまってしまうのです。

何千年経とうが人間というものは変わらないものだなと思うと感慨深いですし、またそのことが大変に興味深く思えるのです。

世の東西を問わず、こうして残っている古典というものの中には否定できない真実が存在しているのです。
だからこそ大勢の人間を虜にしてきたのでしょうね。

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羽田守快さん
(天台寺門宗
大船・金翅鳥院 住職)


「30代40代の中間層の皆さん、
易(えき)に親しんでもらえたらいいな」

「君子以て(もって)虚にして人を受く」とは易経の卦(か)の一つ「沢山咸(たくさんかん)」の象意伝の言葉です。人を受けいれるのには虚であることによって、かえって彼を知ることができるのだということです。

今「義理易」を勉強しています。
前にも少し触れましたが義理易は哲学としての易です。
でも学問的哲学というより実践哲学です。
中国哲学って大体そういう要素が強いですね。
比重は世の中はこうだという宇宙観より、だからどう生きるかの方が重い感じ。

月に一回、飯田先生という方について東京支所長と二人で勉強させていただいております。
とても面白いです。

この易経の言葉は実に衝撃的でした。
つまり最初から先入観や憶測のアンテナを張らず、つまり虚心にただ相手をみていくところに真の人物の見極めができるのだというのですね。

全てを自分の尺度やカテゴリーに当てはめようとする試みは真実をみられない。占いを使って相談なんかしていると。ある意味日ごろから人に対して自分の尺度に押し込めてみようとする悪癖ができやすいようです。

これはあくまで占いが悪いのでなく私が未熟なのが悪いのですが・・・。

割り切れない数のセンチメートルも別な単位の物差しならぴったりくるということがわからず、あくまで自分の物差しで測ろうとする。
もちろん自分の物差しだけを頼っては人の真実は測れませんよね。
それがわかってよかった!

そんなの当たり前ですって?・・・そうかもしれないです。
でも、いつの間にかそういうことが失われて毎日を愚かに過ごしていたのですね。私は。
だからこの易の教えを大事にして最近はなるべく虚心に人と相対するようにとしています。

占いとして易を立てるというのも本来そうした心が大事なんだと思います。
「私は何も知らない、わからない」という心こそが正しい卦をえられる心なのでしょう。

至誠天に通じるというのにもこれが大事ではないかと思う。
自分はこの方のこと、何も知らないんだと思うと人と会うたびにワクワクしてなんか楽しくさえあります。

いままで、ああ、多分この人はこうこう・・・というアンテナはもう根元からポッキリと折ってしまうととても楽で生きやすい

相手の短気そうも、意地悪そうも、優しそうも、善良そうも全てない。
それはただ私がそう感じる思い込みだけで事実とはなんの関係もない。

心理学の論理療法みたいですが実際とても楽です。こういう考え。
実際問題、なんにも知らないのだからそれで当たり前なんだけど。
今までのインスピレーション働かすのと全然別なことするわけです。
ある意味とても当たり前のことをするわけです。

情報はあくまで本人の語る言葉のみ。それをそのまま虚心に伺う。
これって一番私に欠落しているものでしたね。

飯田先生ありがとうございます。
飯田先生の義理易はユーチューブでもアップしていますから興味がある人は是非探してみてください。

古来、易は人生50代になって学ぶものと言われているらしいけど、私は少し遅かったね。
本当はもっと若い30代40代の中間層の皆さん易に親しんでもらえたらいいなという思いです。

天台寺門宗 大船・金翅鳥院
https://blogs.yahoo.co.jp/hukurousennninn